孫子の兵法

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孫子の兵法-九地篇 敢えて窮地に追い込む

『孫子曰く、地形とは兵の助けなり。故に用兵の法には、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、泛地有り、囲地有り、死地有り。
諸侯自ら其の地に戦う者を散地と為す。人の地に入るも深からざる者を軽地と為す。我得るも則ち利、彼れ得るも亦た利なる者を、争地と為す。我以て往く可く、彼れ以て来たる可き者を、交地と為す。諸侯の地三属し、先に至らば而ち天下の衆を得る者を、衢地と為す。人の地に入ること深く、城邑に背くこと多き者を、重地と為す。山林沮沢を行き、凡そ行き難きの道なる者を、泛地と為す。由りて入る所の者は隘く、従りて帰る所の者は迂にして、彼れ寡にして以て吾が衆を撃つ可き者を、囲地と為す。疾く戦えば則ち存し、疾く戦わざれば則ち亡ぶ者を、死地と為す。
是の故に、散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交を合わせ、重地には則ち掠め、泛地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。』

「孫子は言う。地形(自国と敵国との位置関係)は用兵判断において参考とすべきものである。それには散地、軽地、争地、交地、衢地、重地、泛地、囲地、死地の九つがある。
諸侯が自国の領内で戦う場合が「散地」である。敵国に侵入したものの未だ深く入り込んでいない状態が「軽地」である。自軍が奪えば有利になり、敵軍がとれば敵に有利となるのが「争地」である。自軍も行こうと思えば行くことができ、敵軍も来ようと思えば来ることのできる地形は「交地」である。諸侯の領地に三方で通じていて、そこに先に押さえれば諸国と通じて支持支援を得られる場所が「衢地」である。敵国に深く入り込み、多数の敵城や集落を背後に背負っているのが「重地」である。山岳地や沼沢に入り込み行軍が難しい道にはまり込むのが「泛地」である。そこを通って入り込む道は狭くなっていて、そこから戻ろうとすると曲がりくねって遠回りせざるを得ず、敵が小勢でも味方の大軍を攻撃できる地形が「囲地」である。一気に素早く攻めれば生き延びることができるが、迅速に動けなければ全滅する場合が「死地」である。
したがって、散地では、兵が逃げ帰ろうとする恐れがあるから戦ってはならず、軽地でもまだ兵が離反する恐れがあり、敵の防御態勢も充実しているのでぐずぐずせずに突破すべきである。争地は奪取するに越したことはないが、先を越された場合には攻撃してはならず、交地ではどこから敵が来るか分からないので、寸断されないように隊列に間隙を生じないようにすべきである。衢地では、諸侯と外交を結び支持や支援を取り付け、重地では敵城を包囲したりせず挟み撃ちされたりしないよう素早くすり抜け、泛地ではトロトロと時間をかけないように行軍するべきである。囲地では、敵を欺く策謀が必要となり、死地では死中に活を求めるべくひたすら突撃あるのみである。」

 地形篇に続いてまた地形が出てくるが、ここでは本当の地形よりも自国と敵国との位置関係などを考慮し、兵の士気や戦意などを考慮している。孫子の時代には、身分制の戦士だけでなく、徴兵した農民兵などが用いられるようになったために、兵隊の戦意を高めることが重要となった。やる気のない人間を如何にやる気にさせるかということが重要となったのだ。そう考えれば、現代の企業経営においても「やる気のない社員をどうやってやる気にさせるか」という永遠のテーマがあって、孫子の智恵を応用することが可能となる。
 2500年前の地形や戦闘方法をそのまま現代語訳しても何の役にも立たない。ここで大切なことは、経営状況、組織状況において、経営方針や部下への接し方を変えなければならないということだろう。
 入社したばかりで、まだ人や組織になじめず、愛社精神もない状態の社員に対しては、いきなり厳しい現場、厳しい指導、厳しい環境に放り込むのではなく、啓蒙教育や定着指導が必要となる。仕事に慣れ、周囲の人間との人間関係もできてくれば、逃げ出す前に相談もしやすくなるし、せっかく仕事にも慣れたのだからということで定着力が働く。
 ベテランになってくれば、敢えて窮地に追い込み、困難な仕事に挑戦させ、厳しい環境に置くこともあるだろうし、死地においやることもある。やるしかないという状態に置いてやるということだ。
 全員がプロ意識を持って、質の高い仕事をしてくれれば助かるのは当たり前だが、2500年前の孫子でさえ、やる気のない人間を集めて苦労して動かしていたのだから、我々もないものねだりをするのではなく、今いる社員をうまく使って戦いに勝つことを考えなければならない。

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敢えて窮地に追い込む

『所謂、古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賎相救わず、上下相扶けざらしむ。卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止む。』

「昔から戦上手は、敵の前衛と後衛の連携を断ち、大部隊と小部隊が協力し合わないようにし、身分の高い者と低い者が支援し合わないようにし、上官と部下が助け合わないように仕向けて、敵兵が分散していれば集結しないようにし、集合したとしても戦列が整わないように仕向け、戦闘が有利に進められるようにしたものだ。そうしておいて、自軍が有利になれば戦い、有利にならなければ戦闘に入らずまたの機会を待ったのである。」

 戦上手は、攻撃を開始する前に、敵軍の内部分裂や内輪揉め、内部抗争、派閥、離反、反目を生じさせ、弱体化を図るというのだが、そのまま現代の企業組織にも当てはまるのではないか。競合企業の内部事情もしっかり諜報し、その綻びを突くことを考えてみよう。退職者から情報が取れることもあるし、最近はネット情報もある。怪しい情報も多いが、ヒントくらいは隠されているだろう。いくら敵が強大であっても、内部に亀裂や断層があれば、案外脆いこともある。それを見極め、勝てるとなれば動く。そうでなければ時が来るのを待つ。
 この一節では、それが自社に当てはまっていないかを考えてみることが重要だ。敵から付け入られる隙を与えていないか、見直してみよう。まず、自社内に部門間の壁ができて、セクショナリズムの弊害が生じていないか。中堅・中小企業で、人数も大して多くないのに、部門ごと、業務ごとに反目したりいがみ合ったり、ロクに話もしなかったり、ということになっていないだろうか。仕入部門や製造部門、開発部門などと、営業部門などでは、同じ会社の仲間とは言え、業務上の利害は大きく反する。経理などの管理系と営業系も犬猿の仲だったりすることが多い。
 お互いに悪意があるわけではなく、それぞれ自分の仕事を忠実に、一生懸命やろうと思えば思うほど、部門間の対立が起こりやすくなる。全社の効率を上げるための分業体制が、逆に仇となって効率を落とす結果となってはいないだろうか。注意が必要だ。部門間の議論や多少の衝突を恐れたり隠したりしてはならない。それを誤魔化しつつ問題の解消を先送りしているから、敵から付け込まれることになる。
 また、人数の多い部署、部門が幅を利かせ、小所帯の部署が肩身の狭い思いをしているということはないだろうか。人数が多いとそれだけで声が大きくなって何でも優先されるようなことがあるから要注意だ。何でも多数決で決める子供のようなことをしていてはいけない。特に時代の変化が激しい時に、従来のメイン業務、主要事業の声が大きくなり、時代の変化に合わせて新たに設置、挑戦する新規部署、新チームが発する声が通らなくなるというのは避けたい。まだ売上もないくせに、まだ利益も出ていないのに、まずは実績を上げてから言え、などと言ってしまっては、新しいチャレンジはできないし、それこそ社内に亀裂を生じさせることになる。
 そして、ほとんどの企業は同族企業なわけだが、経営者の同族(一族)と一般の社員との間で溝が生じていないだろうか。人材採用の難しい小さな会社が同族の人材を活用、登用するのは必然であり、優秀な人材を確保するためには欠かせないものであるとも言えるが、同族であればこそ、自らを諌め、自制して一般社員の範となるべきである。残念ながら、同じ苗字の人が何人も出てきて、ビジネスとは直接関係のない事情や力関係で、やるべきことをやらない、やっていても遅々として進まない、といった企業も少なからずある。外部から見ているだけなら他人事だから、相手にしなければいいが、その企業に勤めている社員の立場であればどうだろう。同族がいるのは良いが「やっぱり○○家の人は意識が高いな」と思わせて欲しいものだ。
 もちろん、同族ではなくても、人の上に立ち、それ相応の役職を得たら、肩書きを笠に着て偉そうにするのではなく、率先垂範で事に当たり、部下の手本となるべきである。そうして部下の理解に努め、意見を吸い上げながら、全社方針、部門方針を徹底させていく社内のキーマンにならなければならない。役職者、管理職、幹部が部下からの信頼を得、経営者の意を汲んで、上下の意思疎通を良くしているようでなければ、競合からつけ込まれることになる。

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強大な敵に対しても戦い方がある

『敢えて問う、敵、衆にして整えて将に来たらんとす。之を待つこと若何。 曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、其の戒めざる所を攻むるなり。』

「では、尋ねるが、敵軍が、大兵力で隊列を整え攻めて来たら、どのようにしてこれを迎え撃てば良いだろうか。」
「答えるに、まず、敵が重要視しているものを奪えば、こちらの思うように動かすことができるだろう。戦争における要諦は、迅速に動くスピードにある。敵の不備を衝き、予測していない方法を取り、警戒していない地点を攻めるのだ。」

 強大な競合企業に対しても、決して対応する方法がないわけではない。相手が強大であるその理由こそが相手の動きを封じ込めるポイントであり、冷静に相手の急所を突くことが肝要である。
 勝てる戦しかしない、有利にならないと戦わない、勝ち目がないなら動くな、と説いて来た孫子に、敢えて問うと物言いが入った。恐らく、国王だろう。そうは言うけれども、敵軍が大兵力で整然と隊列を組んで、隙なく攻めて来ようとしているとしたら、どうするのか?という問いである。
 理屈は分かるけれども、強大な敵が一気に攻めて来たら、戦わないと言っていられないだろう、という疑念はもっともだ。それに対して孫子は、まずその敵が重要視しているもの(土地)を奪えば、相手は混乱し、後はこちらの意のままに動かせると答えた。
 それに続けて、戦争の要諦はスピードであり、速攻で、敵の不備を衝き、予測していない方法をとり、警戒していない地点を攻めれば良いのだと説いた。敵がいくら強大だからと言っても、それで焦らず、冷静に敵が強大だからこそ抱えている急所を見つけ出せと説いたわけだ。
 現代のビジネスにおいても、仮に強大な競合企業があり、万全の組織、豊富な品揃え、圧倒的な人的パワーで自社の商圏に攻め込んで来たとしよう。何ともしようがない、手の打ちようがないと考えてしまうのも当然のようではあるが、孫子兵法で考えれば、そういう場合でも手が打てると言うのだ。そこでのポイントはスピード。
 相手が強大であればあるほど生じる弱点がある。それはスピードが遅くなるということである。おごりや慢心による緩慢さかもしれないし、情報伝達の遅れや組織が分断されて壁が出来た故かもしれない。そこで、中小・中堅はスピード勝負だ。敢えて、相手の強い部分、得意分野にスピード勝負をかけてみるのもいい。スピードとは意思決定のスピードだ。社員が走ったり、作業スピードを上げる努力をしても、高が知れている。強大になった相手だからこそ意思決定がどうしても遅くなる。相手が商品開発に強みを持っているなら、こちらは商品開発期間、サイクルの短縮で勝負だ。仮説検証スピードを速くすればいい。相手が生産能力に自信を持っているとすると、こちらは納期短縮で勝負する。相手が何千人という営業マンを抱えて攻めてくるなら、こちらはエリア限定で絞込みながら、そこでの営業対応スピードで勝負する。
 意思決定スピードを速くするためには、ITを用いる。データもないのに直感ヤマ勘で意思決定が速いと自慢しているようではお粗末過ぎる。ITを使う理由はそれが速いから。手集計でデータを集めたり、会議で検討していては時間がかかり過ぎる。いつでもどこでも最新のデータが見えるようにする。そのためにはITに載せる情報の鮮度も重要。いくら伝送スピード、集計スピードが速くても、扱う情報が一週間前のものなら、集計に一週間かかったことになる。小さいからこそできることがあるのだ。
 まさかこんなことはして来ないだろうと、その強大な敵が油断しているところ、ニッチな分野、手間のかかるサービスで、一気に差別化を図ることも考えたい。敵は強いが故に、こちらの動きを馬鹿にしているだろう。「そんなことをやって何になる」と油断してくれている間のスピード勝負だ。こちらがうまく行って、成果が出てくれば、相手も真剣に取り組んでくるかもしれない。そうなると当然手強い。相手が本腰を上げて攻めて来る前に、先手を打つべし。
 大きいからこそ、強いからこそ、出来ないことがあるのだ。

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背水の陣が勇者を生み出す

『凡そ客たるの道は、深く入れば則ち専らにして、主人克たず。饒野に掠むれば、三軍も食に足る。謹み養いて労すること勿く、気を併わせ力を積み、兵を運らして計謀し、測る可からざるを為し、之を往く所無きに投ずれば、死すとも且つ北げず。死焉んぞ得ざらんや、士人力を尽くす。兵士は甚だしく陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。』

「おおよそ、敵国に侵攻する場合、敵地に深く入り込むほど自軍は結束して強化され、防衛する側は対抗できなくなる。肥沃な土地を掠奪すれば、全軍の食糧確保も充分となる。そこで兵士たちに配慮して休養を与え無駄な労力を使わせないようにし、士気を高めて戦力を蓄え、軍を移動させながら策謀を巡らせ、敵にも味方にもこちらの意図をつかめないようにしておいて、どこにも行き場のない状況に兵を投入すれば、死んでも敗走することはない。これでどうして死にもの狂いの覚悟が得られないことがあるだろうか。士卒はともに決死の覚悟で力を尽くすことになる。兵士たちは、あまりにも危険な状況に陥ると、もはや恐れなくなり、行き場がなくなれば覚悟も固まり、深く入り込めば手を取り合い一致団結し、戦うしかないとなれば、奮戦するものなのだ。」

『是の故に、其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ、疑を去らば、死に至るまで之く所無し。吾が士に余財無きも、貨を悪むには非ざるなり。余命無きも、寿を悪むには非ざるなり。令、発せらるるの日、士卒の坐する者は、涕、襟を霑し、臥する者は、涕、頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、諸・劌の勇なり。』

「それ故に(こうした背水の陣のような状況に置かれ)、一致団結して決死の覚悟ができた軍は、特に教えなくても行動を自戒し、指示を出さなくても思うように動き、いさかいを起こさないように約束事を作らなくてもお互いに親しみ、法令を作らなくても信頼できる。怪しげな占いなどを禁じ、疑念を生じさせないようにすれば、死ぬまで逃げ出したりすることはない。兵士たちが余分な財貨を持とうとしないのは、財貨を嫌ってそうするのではない。生き長らえたいと言わなくなるのは、長生きしたくないからではない。死を覚悟しているものの、出陣の命令が下った日には、彼らの中で座っている者は、涙がこぼれて襟を濡らし、横になっている者は、涙が頬から顎へと流れるほどであったのだ。こうした決死の兵士たちを逃げ場のない窮地に投入すれば、皆が(勇者として有名な)専諸や曹劌のように勇敢に戦うのだ。」

 逃げ場のない、絶体絶命の状態に置かれたら、誰しも一致団結し、決死の覚悟で戦うようになると孫子は説く。そうなれば、特に教えたり指示したりする必要もないと。窮地に追い込まれて、そうせざるを得ないからだ。リーダーたる者、時と場合によってはそうした状況に部下を追い込む必要がある。
 まさに背水の陣である。背水の陣とは、孫子ではなく、史記の淮陰侯列伝に出てくる、漢の韓信が趙と戦った際に、川を背にして退却できないように布陣し、兵たちが決死の覚悟で奮戦したことで不利な状況を活かして勝利したという故事に基づくが、韓信は孫子の兵法を用いたと言われている。
 孫子の時代もそうだが、兵の大部分は、渋々駆り出された農民兵であって戦意がとても低かったのだ。戦意もなく、いつ逃げ出そうかと考えているような兵を本気にさせるには、逃げ場をなくして背水の陣を敷き、覚悟を決めさせることが必要だったのだろう。
 現代の企業経営においても、やる気のない、モチベーションの低い、指示待ち、受け身の社員が多くないだろうか。どうやってサボろうか、どうやって上司の目をごまかしてやろうかと考えている社員に対して、固定給を払いつつ、サボらせないように監視して行動管理しようとするのは、非生産的だし、後ろ向きなことに時間とコストをかけるのはまったくもって無駄である。いっそ窮地に追い込んで、やるしかない状況に置いてやった方が話が早い。
 だが、現代の企業経営でそんなことをすると、すぐにパワハラだ、サービス残業だ、ブラック企業だ、と批判されることになる。ビジネス戦争では、命は取られないし、転職も簡単になったから、逃げるのも簡単だ。ではどうするか。
 まずは、仕事は自分のものであり、自社は自分が作っているのだということを教えなければならない。目の前の仕事が自分の仕事であり、その仕事がうまく行くことが自分のためになるのだと確信すれば、自ずとその仕事に身が入るものだ。だが、その仕事が会社のもので、給料をもらうために仕方なくなっているものだと思えば、なるべく手を抜いて楽をして給料をたくさんもらおうと考える人も出てくるだろう。
 そういうサボり社員の行動管理が無駄なことはもちろんだが、反対に、自発的に仕事に取り組もうとしている社員にとって管理強化は不愉快だし、頭を使って仕事をする時代には行動管理そのものが通用しないから、やり方を変えなければならない。
 そこで是非共有してもらいたい考え方が、「全個一如」というものだ。全個一如とは、全体の中に部分があり、部分の中に全体がある、という関係であり、部分である個が集まって全体を作り、その個に全体がまた影響を与えるという状態を表す。
 それを会社に当てはめ、全体が会社で、それを支える部分が個人であると考えてみると、会社の中には個人がいて、個人の中に会社があることになる。要するに会社の評価と個人の評価はつながっていて全体と部分では相互フィードバックがあるということだ。
 たとえば、新人営業マンが初めて一人で客先を訪問するような時に、上司や先輩が「いいか、会社から一歩外に出たら会社の代表だと思って責任を持って行動するように。君がボケた仕事をしたら会社がボケていると思われるぞ」などと注意することがある。個人の評価と会社の評価が連動していることは、誰しも体験的に自覚しているからだ。しかし、多くの場合、それはその会社に勤めている間だけで、辞めてしまったら関係がなくなると思っている。これが間違いで、一度できた全個一如関係はずっと消すことができない。もし、今の会社を辞めて、その後その会社が倒産したとすると、自分も「元倒産会社にいた人」となるのだ。過去は消すことができない。個人(部分)のキャリアは、過去に属した会社(全体)の評価から影響を受ける。これは、卒業した学校の評価も同じこと。この場合は、全体が学校、部分が生徒や学生となる。出た学校の評価が高ければ、その高い評価は卒業した後もずっとついて回るし、卒業した個(卒業生)が不祥事を起こしたり、仕事の出来が悪かったりすると、「あの学校は大したことないな」と個から全体に影響を与えることもある。
 したがって、会社の話に戻すと、一度その会社に入り、全個一如関係になった社員は、その会社を良い会社にすることで、自分も良くなり、自分がより良い仕事をすることが、会社を良くすることにつながると考えれば良いわけだ。法律上は会社と個人は別物であるが実体はそうではないのだ。
 この全個一如という考え方を共有し、納得してくれる社員だけに残ってもらえば、各社員は自ら主体的に動く自己発働社員となる。後は、自分で自律し自発的に動くために会社や本人が置かれている状況などをフィードバックしてあげることだ。私はこれを全社員に経営コクピットを用意すると言っている。自ら考え、自ら動けと言っても、置かれた状況を教えてやらなければ、自律的な判断はできないからだ。
 社員全員が、全個一如を理解し、自社を我が事として捉え、一人ひとりがコクピットを見て判断しながら自発的に動いてくれるようになれば、あなたの会社にも専諸や曹劌のような勇者が現れ、間違いなく会社は強くなるだろう。

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敵同士をも協力させる呉越同舟

『故に善く兵を用うる者は、譬うれば卒然の如し。卒然とは、恒山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。』

「ということから、巧みに兵を動かす戦上手は、たとえて言うなら卒然のようなものだ。卒然とは恒山に棲む蛇のことである。その頭を撃つと尾で反撃してくるし、尾を撃つと頭で反撃してくるし、その真ん中を撃つと頭と尾の両方で反撃してくる。」

『敢えて問う、兵は卒然の如くならしむ可きか。曰く、可なり。夫れ、呉人と越人の相い悪むも、其の舟を同じうして済り、風に遇うに当たりては、相い救うこと左右の手の如し。是の故に馬を方ぎて輪を埋むるも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉えて一の若くするは、政の道なり。剛柔皆な得るは、地の理なり。故に善く兵を用うる者の、手を攜うること一人を使うが若きは、已むを得ざらしむればなり。』

「是非尋ねたい。軍隊をこの卒然のようにすることはできるのだろうか。答えるなら、それは可能だ。それはたとえば、敵対する呉の人と越の人は互いに憎み合う間柄だが、同じ舟に乗って河を渡ろうとして、嵐に遭遇したとすると、まるで左右の手のように連携して助け合うようなものなのだ。そういうことだから、馬を杭に繋ぎ止め戦車の車輪を土に埋めて防御を固めようとしても、それだけでは、安心するに足りない。兵士たち全員に等しく勇気を奮い起こさせ一つにまとめるのは、軍を司り統制するやり方による。剛強な者も柔弱な者もそろって役割を果たすのは、その地勢の道理による。やはり、兵を動かすのが上手な者が、軍全体を手をつなぐかのように連動させ、まるで一人の人間を使っているかのようにできるのは、そうせざるを得ないように仕向けていくからなのだ。」

 優れた将軍、兵の運用に長けた人間の戦う様は、まるで蛇のようだと言う。頭を撃てば尾で反撃してくるし、尾を撃てば頭で攻めかかって来る。その真ん中を攻めれば今度は頭と尾の両方で反撃してくる。そんな蛇のような戦い方が本当に可能なのかと問われた孫子は、「呉越同舟」で有名な例を挙げて、もちろん可能だと答えた。
 長年敵対している呉国と越国の人が同じ舟で河を渡ろうとしている時に、嵐や台風に遭って遭難しそうになれば、普段は敵対し、憎しみ合っていたとしても、まるで左右の手の如く協力して難を逃れようとするものだと説いたのだ。いざとなれば、敵同士でも協力するものなのだ。だから、人は、やるしかない状況に置かれれば、必ず動く。そうするべきなのだ、と。背水の陣を敷き、同じ舟に乗せて、運命共同体とする。逃げることもできず、共に戦うしかない。
 同じような組織運営、企業経営、部下統率がしたい。それができれば強いし、それが理想だろう。だが、「社員が動いてくれない」「言っても聞かない」「指示しているのにその通りにやらない」と、泣き言を言う経営者は少なくない。いや、案外多い。同じようなことを言う、幹部社員や管理者もいる。これもまた多い。これでは敵と戦えない。
 何でもハイハイと言うことを聞けと言いたいわけではない。社長の言うことにNOを決して言わないYESマンでは、使えないし、何とも頼りない。社長が言おうと、上司が言おうと、納得できないものは納得できない、おかしいものはおかしいと言ってくれる社員がいてくれると助かる。時に反発し、反論するくらいの方が、骨があっていいとも言えるだろう。だが、それを許していい時と悪い時がある。やはり経営者が本気で何かをやろうと決めたことであれば、それを全社員が受け入れ、徹底して卒然の如く動けなければならない。イザという時にはそれができないといけないのだ。
 社員や部下に向かって、「言うことを聞いてくれない」などと子供のような甘えたことを言っている暇があったら、やらざるを得ない状況にその社員を置くことである。背水の陣でも、遭難しそうな舟に乗せてもいい。それができないのであれば、社長の座を誰かに譲った方がいい。
 ある企業で、新分野への進出を模索していたのだが、現場の営業マンがこの新しい分野を開拓したがらないということがあった。「やるやる」とは言うものの、面従腹背で一向に動かない。新ルートの開拓では、無碍に断られることも多いし、新しい商品分野だからその勉強もしなければならない・・・。やろうとは思っているのだろうが、具体的な行動には現れないようだった。どうしても人間は慣れていることに甘んじる。既存分野、既存ルートだけでは将来がなくジリ貧が予想されるから、新分野への進出を進めているのに、肝心の現場が動かない。特にベテランが言うことを聞いてくれない。ベテランになればなるほど、できない言い訳、やらない言い訳をするのが上手になる。社長はもはやお手上げ状態になっていた。
 そこで、組織改編を行って新分野専門部署を作り、ベテランをそこに集めた。既存ルート、既存商品の売上が一時的にダウンするのは覚悟の上だ。その経営者の覚悟を示したとも言える人事施策を打ったということだ。
 ベテランもそうなったら覚悟を決めてやるしかない。新規しか仕事がないのだから。ぶつぶつと、既存の売上がどうの、顧客が困るだの言っていたが、動き始めた。
 結果として、既存の落ち込みなどはほとんど無く、新規の取り組みも進んだことは言うまでもない。やるしかないとなればやるのだ。

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リーダーは静かにして以て幽く

『将軍の事は、静かにして以て幽く、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、之くこと無からしむ。其の事を易え、其の謀を革め、民をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にし、民をして慮ることを得ざらしむ。帥いて之と期するは、高きに登りて其の梯を去るが如く、帥いて之と深く諸侯の地に入りて其の機を発するは、群羊を駆るが若し。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知ること莫し。三軍の衆を聚めて、之を険に投ずるは、此れ将軍の事と謂う。九地の変、屈伸の利、人情の理は、察せざる可からざるなり。』

「将軍たる者は、表には常に平静を保ちつつ、内面の思考は周囲から窺い知れないほど奥深いもので、何事につけ公正で的確な判断をするから、組織を統治することができる。士卒の注意や意識をくらまして逃亡しないようにさせる。作戦をしきりに変更し、策謀を更新することで、兵たちに将軍の真の意図を理解させないようにする。駐屯地を転々と変え、進路も敢えて迂回させることで、兵たちが目的地を推し測ることができないようにする。軍隊を率いて遂行すべき任務を指示する時は、高い所に登らせておいてから、その梯子を取り外すかのように、降りたくても降りられないようにし、軍隊を率いて敵国に深く侵入していざ決戦という時には、従順な羊の群れを駆り立てるかのように動かす。兵たちは駆り立てられて行ったり来たりするが、誰もどこへ向かうのかを知ることもない。全軍の兵力を結集させ、必死に戦うしかない危険な状況に投入することこそ、将軍たる者の仕事である。九種の土地の状況による変化や、状況により軍を屈伸させることの利害、置かれた境遇、状況により変化する人情の道理については、充分に考慮し洞察しなければならない。」

 将軍たる者は、表には常に平静を保ちつつ、内面の思考は周囲からは窺い知れないほど奥深いもので、何事につけ公正で的確な判断をするから、組織を統治することができるのだと孫子は説いた。なるほど。リーダーとして必須の心構えだろう。
 そして、敵は当然だろうが、味方である部下にもその真意を悟られるなと。士気の高い部下ばかりではない。やる気のない者もいれば、敵前から逃げ出そうとする者もいる。気を緩めてしまうものもいるだろう。緊張感を維持させつつ、険に投ずる。さすが、孫子。厳しい指摘だ。
 現代のビジネスでも、リーダーの考えていることが浅薄で、部下から「どうせこんなことを考えているんだろう」などと先読みされてしまうようでは、何とも頼りないし、部下が心服することなどないだろう。少なくとも経営者たる者が、軽口でペラペラと考えていることを喋り、その裏に隠しているつもりの本音、本心を社員から見透かされているようでは話にならない。
 「社長の考えていることがよく分からないこともあるけど、1年後、2年後には社長が言っていたことが正しかったと分かるし、それを信じておけば間違いないと思える」という安心感、信頼感が得られるようにしたいものだ。
 もちろん、基本は情報共有であり、全社員がどこに向かって、何をしようとしており、今、どういう状況になっているのかということを知っておかなければならないし、それらが「見える化」されていることが、個々人の自律と自発を生むためには必須である。これが基本ではあるけれども、企業にはどうしても開示できないものもあり、共有してはならないこともある。たとえば人事などはその最たるものだし、M&Aのような対外交渉も情報漏えいが大きなリスクとなる。戦略上の意思決定においても、最終の結論は共有するにしても、途中の思考過程は経営者だけが知っておくべきで、社員には言えないこともある。
 当然、戦争においても、その狙いを何でも話すことはできないし、どこに敵の間諜が潜んでいるかも分からない。現代の企業においても、スパイのような情報を漏えいする人間もいることがあるし、悪意はなくても、SNSなどにアップして世界中に伝えてしまった、といった冴えないことになる可能性もある。部下に、教えてやりたくても、共有したくても、できないことがある。それを人の上に立つ人間はグッと我慢し、静かにして以て幽く保ちながら、正しくして以て治まる状態に持っていかなければならない。
 特に、経営者は孤独な商売であると言う。これまで多くの経営者と会い、私自身も長年経営者として生きて来たが、確かにそうだなと思う。社員に囲まれ、仲間に恵まれていると喜べる瞬間ももちろん多いが、一方で頭の中では、常に最悪の事態を予測し、それに対する備えも忘れることはできない。呑気に笑ってばかりはおられない。顔では笑ってみんなと一緒に成功を祝い、酒を飲み、騒いでいても、心の中では「いや、これが凋落の第一歩ではないか」と疑ってみたりもする。無邪気に笑い、楽しんでいる社員たちを見て、うらやましくもある。そんな場で、「実は、うちの会社、厳しくてな・・・」などとはとても言い出せないだろう。
 信頼し期待して、「こいつは大丈夫かな」と思って、多くを語った社員に裏切られたこともある。語り過ぎたか・・・。資金繰りの相談などはそもそも社員にはできない。人の話も、どうしても妬みや僻みが出て、話せない。人事異動、組織改編も、事前にちょっと相談しただけで社内に広まったりする。
 社員は「褒めてくれないとやる気が出ない」とか「褒められて伸びるタイプなんです」などと、もっと褒めろ、もっと認めろと不平不満を唱えるが、経営者に対しては、陰口を叩く社員は多くても、褒めてくれる人はいない。なんとも孤独である。
 経営者たる者、孫子に学び、孤独にも耐え、人知れず会社を守っていきましょう。静かにして以て幽く。

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サプライズ報酬で人を動かす

『凡そ客為るは、深ければ則ち専らにして、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師ある者は、絶地なり。四徹する者は、衢地なり。入ること深き者は、重地なり。入ること浅き者は、軽地なり。倍は固くして前の隘き者は、囲地なり。倍は固くして前に敵ある者は、死地なり。往く所なき者は、窮地なり。 是の故に、散地には吾れ将に其の志を一にせんとす。軽地には吾れ将に之をして僂ましめんとす。争地には吾れ将に留まらざらしめんとす。交地には吾れ将に其の結びを固くせんとす。衢地には吾れ将に恃むところを謹まんとす。重地には吾れ将に其の後を趣さんとす。泛地には吾れ将に其の塗を進めんとす。囲地には吾れ将に其の闕を塞がんとす。死地には吾れ将に之に示すに活きざるを以てせんとす。故に諸侯の情は、邃ければ則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。』

「およそ敵国に侵攻する場合には、深く入り込めば兵士たちは団結するが、浅ければ兵士たちは逃げ散ってしまう。本国を離れ国境を越えて軍を率いる地域は絶地(散地以外の八地を指す)である。四方に通じる十字路は衢地である。奥深く侵入した地域は重地である。浅く侵入しただけであれば軽地である。背後が険しくて前方が狭まっているのは囲地である。背後が三方とも険しくて前方に敵がいるのが死地である。どこにも行き場がないのは窮地である。
こうしたことから、散地では(兵が逃げる恐れがあるので)、自分は兵士たちの心を一つにまとめようとする。軽地では(まだこの段階で敵に見つからないように)背をかがめて低い姿勢で見つからないようにさせる。争地では自分は(先に占拠した敵が)そこに居座れないようにさせる。交地では(急に現れた敵に分断される恐れがあるから)自分は各部隊の連結を強固にさせる。衢地では(交通の便を活かして諸国に使いを出して)入念に親交を確かめる。重地では(敵城で足止めを食わないように)自分は後続部隊を急がせようとする。泛地では(機敏に動けないから)自分は軍を速く進めようとする。囲地では(戦意を強固にするために)自分は逃げ道を塞ごうとする。死地では(決死の覚悟で戦うしかないのだから)すでに生還の望みは失われたことを思い知らせようとする。そこで、諸侯たちの心情としては、侵攻軍がまだ遠い地点にいるならば、防禦体制を整えようとするし、すでに自国深くまで侵攻されて戦うしかないとなれば決戦に臨むし、自国を通り過ぎて行こうとしていると追撃したくなるものである。」

『是の故に諸侯の謀を知らざる者は、預め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。此の三者、一も智らざれば、王・覇の兵には非ざるなり。彼の王・覇の兵、大国を伐たば、則ち其の衆は聚まることを得ず、威を敵に加うれば、則ち其の交は合することを得ず。是の故に天下の交を争わず、天下の権を養わざるも、己の私を信べて、威は敵に加わる。故に其の国は抜く可く、城は隳る可きなり。 無法の賞を施し、無政の令を懸く。三軍の衆を犯うること一人を使うが若し。之を犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てする勿れ。之を犯うるに害を以てし、告ぐるに利を以てする勿れ。之を亡地に投じて然る後に存し、之を死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く敗を為す。』

「従って、諸侯たちの腹の内が読めないようでは、前もって同盟を結ぶようなことはできず、山林や険しい要害、沼沢地の地形などを把握していないようでは、軍隊を進めることはできず、その土地の地理に精通した案内役を使わないようでは、地形による利を活かすことはできない。これら3つのうち、ひとつでも知らないようでは、王者や覇者の軍ではない。かの王者や覇者の軍が、大国を討伐すれば、たとえ大国であってもその兵たちは集結することができず、実際に武威を行使すれば、その国は孤立して他国と同盟を結ぶことができない。こうしたわけで、外交交渉を敵と争うこともなく、天下の覇権を積み上げることをしないでも、自分の思い通りに振る舞うことができ、武威を敵に与えられる。だからその国を陥落させることができるし、城郭も破壊することができるのだ。
通例、慣例に基づかない、法外な褒賞を与えたり、非常事態において厳命を下し人事の刷新を図る。これによって、全軍の大勢の部下を使いながら、あたかも一人の部下を使っているかのようにできる。軍を動かす時には任務を与えるだけにして、その理由を説明してはならない。軍を動かす時には、不利な状況だけを知らしめて、有利な点を伝えてはならない。軍を滅亡必至の状況に投入してこそはじめて生き残るのであり、軍を死ぬしかない状況に陥れてこそはじめて生き延びるのである。そもそも兵士たちは危機に陥り絶体絶命となってから後に死にもの狂い、破れかぶれの奮闘をするものなのである。」

 そして、ここで九地篇の冒頭と同じような敵国への侵入度に応じた兵の動かし方が出てくる。冒頭とは微妙に違う表現もあるが、やはり兵士、軍を本気で戦わせるためには、窮地に追い込んで、決死の覚悟を決めさせることが大切だと説く。当時の兵士たちが寄せ集めで戦意に乏しかった事情を考慮して読み解く必要がある。
 今なら差し詰め、「ブラック企業」と批判されることになるだろうし、頭を使って仕事をする際には、自社の状況を理解させ、目指すべき方向を共有しておかなければならないのは当然である。ビジネスでは敵国に侵攻することはないから、ここで参考にしたいのは、サプライズ報酬だ。
 孫子は、人を動かすためには、通例、慣例に囚われない法外な褒賞を与えたり、人事を行うことがあっても良いと説く。そうすることで、大勢の部下をまるでたった一人の部下を使っているかのように動かすことができるのだ、と。
人は報酬のために動く。それが仕事だと一般に考えられている。だが、実際に人を動かそうと思うと、ただ報酬を与えるだけでは、なかなか思うように動いてくれない。すぐに当たり前になってしまうのだ。
 最初は、一生懸命だ。会社に入ったばかりの時には頑張って認めてもらい、仕事を与えてもらわなければならない。報酬も嬉しいだろう。しかし、段々、仕事をしているのだから当たり前、給料はもらって当然となる。周りの人間を見渡す余裕が出来てくると、大したことのない人間もいることが分かったりする。あれでもOKなら俺も大丈夫だな、と少し手を抜く。軽くサボッてみることもある。それでも給料はいつものようにもらえる。となれば次には、多少手を抜くのが当たり前となる。
 最初は、職についただけで嬉しかった。最初は、仕事があるだけで有り難かった。しかし慣れれば、それは当たり前になる。こんな人が現代のビジネス、企業にもたくさんいる。そういう人間は、窮地に追いやるしかない、というのもアリだろう。だが、そればかりではダメだぜと孫子も言っている。2500年も前に。追い込むばかりではなく、たまにはサプライズの報酬を出したり、サプライズ人事をしてみよと。そうしたら何千、何万という兵士をまるで一人を使っているかのように動かせるというわけだ。
 このサプライズ報酬は、ゲーミフィケーション、仕事の「ゲーム化」においても重要なポイントになる。報酬の与え方の法則がプレイヤーに分かってしまうと、その報酬を得るアクションが「作業」になる。ポイント稼ぎのために「反復作業」をやるようになるのだ。ポイントは稼げるが、これでは楽しくなくなる。そこで、裏ルールや、隠し技、ボーナスポイントなどを仕込む。
 こうした取り組みは、報酬や指示命令など人からもらったり、言われたりして動機付けられる「外発的動機付け」から、自ら楽しみ、前向きに取り組む「内発的動機付け」に移行させる狙いがある。最初は、外発的動機付けでもいいのだが、それがやっているうちに内発的なものにシフトし、点火しなければならない。窮地に陥って、「やるしかない」と自ら火をつけるか、サプライズ報酬で、ワクワクドキドキしながら内発的に取り組んで行くか、方向性は違うけれども、このどちらもを2500年も前に孫子が指摘していたとは・・・。さすが孫子である。
 現代のビジネスにおいて、法外な報酬、サプライズ報酬をうまく使うには、ただ出せばいいというものではなく、誰に、いつ、どこで出すかを見極める普段からの社員の把握が必要である。何の意味もなくサプライズ報酬を出しても、ただ驚いて終わり。その時はモチベーションも上がるだろうが、効果は薄い。何に対して報酬が出るのか、社長はどこを評価したのか、に注目が集まる。たとえば、最多失敗大賞。今年一番失敗した人に社長がポケットマネーで賞を出したとしたら?
 成功した人には、通常の評価で報いているだろう。だが、もっとチャレンジした、もっとも悔しい思いをしたであろう人のことを認めてあげることで、社内へのメッセージになる。簡単なことなら成功するだろう。難しいことに挑戦してこそ失敗がある。
 ここで必要なことは、社員個々人の仕事ぶりをきちんとつかんでおくこと。だから現場の「見える化」が必要であり、それをきちんと社長が見ていなければならない。社員の頑張り、努力、献身をよく見て、きちんと認め、しっかりと報いてあげたい。人は自分がどう評価されているかをとても気にしている。紀元前も21世紀も人の心はそう変わってはいない。

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始めは処女、後は脱兎の如く

『兵を為すの事は、敵の意に順詳するに在り。敵に幷せて一向し、千里にして将を厥す。此れを巧事と謂う。是の故に政挙がるの日は、関を夷ぎ符を折きて、其の使を通ずること無く、廊廟の上に厲しくして、以て其の事を誅む。敵人闠を開かば、必ず亟かに之に入り、其の愛する所を先にして微かに之と期し、剗墨して敵に随い、以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如くにして、敵人、戸を開くや、後は脱兎の如くす。敵、拒ぐに及ばず。』

「戦争を行う上での要諦は、敵の意図を読み、それに順応させて動くところにある。敵が目指すであろう目的地にこちらも向かい、それが千里もの距離を長躯するものであっても狙い通りに敵将を討つ。これぞ鮮やかな戦い、巧事である。こうして、いざ開戦の命が下される日には、関所を封鎖し、通行証を無効にして、敵国使節との関係を遮断し、廟堂での厳粛な審議を経て、戦争計画の実行を決断するのだ。敵の防衛線に隙や緩みが生じたら、必ず迅速に侵入し、敵が重要視している地点を第一目標として先制攻撃すべく、秘密裡に作戦計画を決めて、全軍が沈黙を守って敵の動きに応じて動き、一気に勝敗を決する。このように、初めは乙女のようにおとなしく慎重にしておいて、敵が油断して隙を見せたら、脱兎のように機敏に動け。そうすれば敵は防ぎようがないのだ。」

 九地篇最後の一節は、有名な「始めは処女の如くにして、敵人、戸を開くや、後は脱兎の如くす」で締め括られる。こちらの意図や作戦を敵に悟られないようにしつつ、相手を油断させておいて、隙が生まれてチャンスとなったら、一気に攻める。それには軍全体への統制も効いてなければいけないだろうし、情報の取り扱いにも細心の注意が必要だっただろう。それができてこそ、「神業」「巧事」と言える、鮮やかな戦いができるというわけだ。
 現代のビジネスにおいても、勝てるシナリオや体制が整わないうちは、極力敵を作らないようにして、自らの意図や戦略、計画を相手(競合や市場)に悟られないようにするべきである。いざという時に脱兎の如くなるための力を蓄えて、好機を待つべきなのだ。 勝つためには我慢も必要ということなのだが、つい喋ってしまったり、つい焦って始めてしまったり、つい自慢してしまったりして、敵に気付かれ、敵を作り、敵に手を打たれてしまうことがある。乙女のようにしおらしくしておこう。 だが、経営者ともなると、なかなかしおらしくしておけない人が多い。経営者になろうというくらいだから、どうしても「俺が、オレが」と自己主張する、プライドの高い人が少なくない。起業家、創業者とはそういうものだろうし、二代目、三代目であったとしても、人を率いて行くには遠慮ばかりでは役立たない。自分なりの独自性、時にそれが「我」と言われようとも押し通すくらいのパワーも必要だろう。しかし、それを表に見せてはいけないと孫子は説く。
 特に若い内に、「若手起業家」などとおだてられて調子に乗らないようにすべきである。ついついマスコミの取材などを受けたりすると、嬉しくなってベラベラと偉そうなことを言ってしまいがちである。私もそうだ。かつてかなりやらかした。当時の取材記事や録画などを今見ると、良く言ったな・・・と恥ずかしくなることもある。そして、今や「若手」などとは言われずに、「青年実業家」というのも怪しくなってきたと言うのに、今でもついついやってしまう。(と言いながら、ここでもまた偉そうに孫子について、経営について書いている。申し訳ありません。お役に立ちたいだけなのです・・・。)
 大した実績もない若い人間が、偉そうなことを言っているのを、快く思う人はほとんどいない。中には「面白いじゃないか」と言ってくれる器の大きな人もいるが、世の中の大半というか、99.99%は「若造のくせに生意気な」「偉そうにして」と思うものである。仮に相手が同年輩や年下であっても、嫉妬心もある。ヘタに競争心を煽っても良いことにはならない。
 若手経営者であれば、年上の部下、社員もいるだろう。決して長幼の序を忘れた偉そうな言動をしてはならない。役職がどうであれ、相手は人生の先輩だ。相手を尊重する心を忘れてはならない。
 孫子は、処女の如くあれと説いた。そして後は、脱兎の如く逃げる。目的を果たしたら、さっさとその場を立ち去る。それが賢い戦い方なのだ。一定の成果を挙げれば、偉そうにしたいこともあるだろう。自慢話くらいしたい・・・。褒めてもらいたい・・・。だが、我慢だ。
 事業を進める上で、立派そうに見えた方が良いのではないかと思うこともあるだろう。あまり貧相にしていては舐められるのではないかと心配になることもあるだろう。だが、常に謙虚に。無用な敵を作るようなことをしてはならない。
 雑誌やテレビの取材となれば、ちゃんと取り上げてもらえるだけの内容を伝えないといけないと思って、つい大きなことを言いたくなったり、絶好調であるかのように言いたくなったりもするだろう。せっかく取材に来てくれたのに、冴えない話をしていては、ボツになってしまう・・・。だが、黙っておくべきことは黙っておき、敵に知られたくない手の内はベラベラと喋ってはならない。言いたくなっても我慢。記者さんに自説をぶつけて「さすがですね」くらいは言ってもらいたい・・・。しかし、我慢。
 特に、小さな会社が勝てるシナリオも描けない内に偉そうなことを言っていては手の内もバレて、いつかやられてしまう。狙い定めた戦略目標も決して競合や取引先に悟られてはならない。どうしても話す必要がある時は、全部話さずに7割か8割程度に抑えておこう。偉そうなことが言いたくなったら「弱い犬ほど良く吠える」と心の中で何度か唱えてみよう。私も良くやる。うちの犬が本当にビビッてよく吠えるので、うちの愛犬を思い出しながら「弱い犬ほど良く吠える」と呪文を唱える。
 経営者、人の上に立つ人は、敵だけでなく、人の嫉妬心を忘れてはならない。「すごいですね」「立派ですね」などと言う言葉に踊らされてはならない。相手はおべんちゃらを言っているだけかもしれない。調子に乗らせて、ベラベラ喋らせようと思っているのかもしれない。余計なことを喋って、妬まれたり、敵を作ったりしていては孫子に怒られる。始めは処女の如く、後は脱兎の如く。

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